PS3の価格変更が意味するところ

先日、TGSの基調講演の場でPS3の価格変更が発表されました。これに関して、各メディアやユーザから様々な意見が飛び交っています。発売2ヶ月前で大幅な価格変更という事実から一部のメディアでは「他のゲーム機の低価格戦略につられた迷走」という言葉でこの事実を描写していたりします。商品の価格は一般に市場の需要と供給によって決定されるものであり、商品価格の変動はその市場予測に対する読みの甘さを意味すると思います。このことを考慮すれば、「迷走」という言葉もしっくり来るかもしれません。
しかし、今回の価格変更が意味するところはそんな単純な話ではありません。価格変更がおそらくPS3の収益モデルの転換を意味するからです。この原理を理解するためには、ゲームプラットフォーマ(SCE任天堂Microsoft)が採っている特殊なビジネスモデルを知る必要があります。ゲーム機を世に送り出すゲームプラットフォーマはゲームソフトベンダからのライセンス料によって経営を維持しているという特殊なビジネスモデルを採っています。これは単純にモノを売って利益を得るビジネスモデルとは違います。ゲームプラットフォーマのビジネスモデルとPS3の価格変更の関係に関する考察は、後藤弘茂氏のPLAYSTATION 3 49,980円が意味するSCEの戦略転換コンピュータからゲーム機へと揺り戻したPLAYSTATION 3の記事に詳しく書かれています。
ゲームプラットフォーマは新規のゲームプラットフォーム立ち上げの際には短期的な赤字を覚悟でゲーム機の価格を設定します。これによって、他のAV機器とのコストパフォーマンスにおける差異を図り、AV機器では考えられない規模でゲーム機を市場に普及させます。ゲーム機本体の機能は、およそ5年の間、大きく変化せず、ほぼ完全な互換性を維持します。この間、ゲーム機内部のLSIをより最新のプロセスによってシュリンクし、消費電力とダイ面積を抑えます。これによって、ゲーム機内部の基盤に載せる部品点数を削減し、筐体をよりコンパクトにしたモデルを提案するとともに、製造コストを大幅に削減していきます。この製造コスト削減によって、長期的にはゲーム機本体による利益を黒字に転換させることができるというわけです。これに加え、ライセンシと呼ばれるゲームソフトベンダにゲーム開発環境や情報を提供する代わりにライセンス料を徴収します。ゲーム機本体による利益は長期的にしか望めないため、ゲームプラットフォーマの経営はライセンシからのライセンス料に大きく依存しています。
従来、ゲームプラットフォーマは以上のビジネスモデルによって経営を維持してきました。しかし、PS3の場合は勝手が違います。なぜなら、PS3の開発環境の一部をライセンシだけでなく一般に開示するためです。これによって、ゲームソフトベンダからのゲームソフトだけでなく、PS3上のアプリケーション開発に興味ある人たちから幅の広いアプリケーションが提供されるようになることが期待されます。これによっていわゆるPS3アプリケーションのエコシステムがPS3上に構築されるというのがPS3の狙いです。もっともアプリケーション開発を他人任せにしていることは否めませんが、開発者が開発したいと思わせるプラットフォームにすることがプラットフォーマとしての使命でしょう。
それはさておき、このアプリケーション開発体制はPCにおけるそれと同様のフレームワークと言えます。PS3のアプリケーションで純粋に遊びたいと考えている人たちにとっては、PS3上で動くアプリケーションこそ重要であり、その開発環境は触れることすらないでしょう。したがって、PS3にとってはアプリケーション開発を促進させることが重要課題であり、一般開発者からライセンス料を徴収するわけにはいきません。そのため、ライセンス料に依存しないビジネスモデルで商品を売っていく必要があります。これはすなわち、ゲーム機本体だけで持続可能な利益を見込まなければいけないことを意味します。この結果が当初のHDMI端子なしPS3の価格62,790円だったわけです。
しかし、SCEは発売前にPS3のゲーム機以外の価値を市場に知らしめる活動はほとんどしてきていません。そもそもPS3の実機が市場に出回っていない段階でシミュレータだけで一般のアプリケーション開発者を募るには開発動機として無理があります。しかも、ライセンシ以外へのライブラリや開発環境の提供に関してまだまだ不透明かつ不十分な点が多いです。実際、PS3上で動作するアプリケーションは、従来通り、組込みのシステムソフトウェアとゲームソフトベンダが提供するゲームソフトのみという構図になっているのが現状です。したがって、現段階ではPS3をPCと同じビジネスモデルで売っていくことは難しいと考えられます。そこでビジネスモデルを従来のモデルに戻し、まずはPS3をゲーム機として訴求し、市場への普及を促すという戦略変更が今回の価格変更という形で目に見えたということになるのではないでしょうか。
しかし、これによって久夛良木氏のPS3に対する思想が変わったということにはならないと思います。おそらく、長い時間をかけて開発環境やOSに対する投資を行った後で本来目指していたビジネスモデル、そしてオープンな開発体制に移行するのではないかと思います。誰もが自分のプログラムをゲーム機で動かせるようになる時代を考えると、ちょっとわくわくしてきます。それにしても、後藤氏の記事内で

しかし、他にも可能性が考えられる。例えば、今回の値下げやHDMI端子の標準搭載については、ソニー本社との合意が取れていなかったのかもしれない。だとすれば、公式には発表できない理由も納得できる。しかし、発言してしまえば、規定事実になってしまう、そこを久夛良木氏が狙った可能性もある。(その後、SCEからは金額の入ったリリースが出され、正式に発表された)
もちろん、これは単なる憶測だが、そう考えたくなるほど最近のソニーSCEの間は、連携が悪い。また、こうした小回りが効く点が、ソニーSCEの違いでもある。ソニー本体だったら、一度公式に発表した戦略製品の価格を、発売前にアッサリと書き換えるような大胆なことは難しいだろう。
大企業の場合、いったん発表した価格を引っ込めることができず、失敗への道をまっしぐらに進むケースがありうる。しかし、SCEは規模の割に、日本企業としては小回りが利き、対応がスピーディで、面子にこだわらずに軌道修正ができる。逆を言えば、そんなSCEだから、PS3をゲーム機以上の価格でスタートさせようというリスクの高い賭けも張ることができる。つまり、リスキーなこともするが、リスクを回避するのも速い。そうしたSCEの特徴が、今回は発揮されたと見ることもできる。

という記述を見たときに思わず笑ってしまいました。基調講演の会場内でここまでは考えが及ばなかったな。